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JBLを作った男 ジェームス・B・ランシングとは

一般ユーザーはもちろんのこと、プロユースとしても高い人気を誇っているのです。そんなJBLの創業者として知られているのが、ジェームス・B・ランシングです。実は、JBLはジェームス・B・ランシングの頭文字をとっているというのは、あまりにも有名な話であります。

 

そんなジェームス・B・ランシングの生誕から衝撃的な最期までを紹介していきます。

 

■JBLの誕生まで

ジェームス・B・ランシングは、1902年にアメリカのイリノイ州で誕生しました。実は、ジェームス・B・ランシングと言うのは通称であり、本名はジェームス・マーティーニであります。小さな頃から電子工学が大好きな少年であり、ライデン瓶を作成するなどその能力には疑いの余地が無い程の少年でありました。
また、無線機を自分で組み立ててアマチュア無線の没頭していました。一度は自動車店に就職するも、その能力を活かすかのように、1924年にソルトレイクシティのラジオ局に就職します。
そこで、技術ディレクターとして活躍していた最中、ラジオ受信機のスピーカーに興味を持ち始めます。「これを改良すればもっといい音を奏でることができる!」少年時代から持ちあわせた好奇心を抑えることができず、実際にスピーカーを改良するための研究に没頭し始めます。
ちょうどこの頃から、ジェームス・B・ランシングと名乗り始めます。その後、1927年にはついに自分の会社であるランシング・マニュファクチュアリングを、知人のケン・デッカーと共に立ち上げます。ランシング・マニュファクチュアリングは、今のJBLの前身として知られています!




■経営者としては決して有能ではなく・・・

1934年にはMGMよりMGMシャラーホーン・システムの開発を依頼されます。クライアントの依頼に忠実に応え、何と映画芸術科学アカデミー賞を受賞するほどの名品を完成することに成功します!
これにより、知名度は一気に向上しますが、良いことばかりは続きませんでした。1939年に、経営の舵をとっていたケン・デッカーが航空事故で殉職するというアクシデントが発生します。これにより、業績が一気に悪化してしまいます。
1941年には事業存続の危機を迎えることになり、アルテックという会社に買収され、アルテック・ランシングが誕生します。ジェームス・B・ランシングは、アルテック・ランシングの技術副社長に就任し、技術面で会社を支えます。
1946年にはアルテック社を退社し、ジェームス・B・ランシング・サウンドという会社が誕生します。ただ、ジェームス・B・ランシング・サウンドは経営的に逼迫してしまい、最終的には1949年に自殺という形で最期を迎えてしまいます。
今でも、ジェームス・B・ランシングの名や心意気は、JBLの中に息づいているのは言うまでもありません!

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